スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--年--月--日 | スポンサー広告

処暑

「今日もあっちー」
と思いながら電車に乗っていたら
途中の駅で一人の少年が乗り込んできた。

あー忙しい、といった風情で、
ちょっと疲れた感じでおれの隣の席に座った少年、
(小学校高学年くらいだろう)
ポロシャツのボタンはしっかりと上まで留めています。
ズボンにはインです。

少年は、ハァ、と小さく溜め息をついた後、
リュックサックからおもむろに分厚い本を取り出して、
指でなぞりながら、猛烈な勢いで
その本を読み始めました。

「そんな勢いで一体なにを読んでいるんだろう??」と
少年の持っている本の表紙をのぞき込むと、
そこには、

『”首相列伝” 伊藤博文から小泉純一郎まで 』

と書いてありました。

驚いて、
そのまま少年の横顔に視線を移してみると、
そこには
未来の首相の顔がありました。


思わず、
「汗、お拭きしましょうか?」
「肩でもお揉みしましょうか?」
とでも言いたくなってしまうような、
そんな風格を漂わせていました。
きっと、口論でもしようものなら、
おれは瞬殺されることでしょう。


今時、
子供たちが将来の夢に
「総理大臣」
を挙げるようなことは
もうあんまり無いんじゃないかと思っていましたが、
この少年なら、きっとなれる、
「頑張れ、未来の総理大臣!」
と思いました。


同じ駅で降りることになり、
おれの前に立って、扉が開くのを待っている
ちょっと疲れた風情を漂わせる未来の総理大臣。

肩を思いっ切り、
ムンギューと揉んでやろうかと思いました。




明日から前線が南下してきて、
猛烈な暑さも、近畿以東では一段落。
秋の気配が少しずつ。





73174312.jpg









スポンサーサイト
2011年08月18日 | 未分類

おこのみやき

「意味不明」の代名詞といえば
「現代アート」ということになるだろう。

描いた線を消しゴムでを消して展示したり、
動物を輪切りにしてホルマリン漬けにしたり、
街中で清掃活動をしたり、
美術館の中でマラソンしたり。

観る側にとっては、
まずその「意味不明さ」を楽しむことから始まるのだろうが、
現代アートほどになると、
その作品ほぼすべてが「意味不明」だから、

「この意味不明さはグロテスクでキモいね」とか

「この意味不明さはちょっと懐かしさを誘うね」とか

感覚的にものは言えても、
元々が意味不明なものだから、
個々人の好きとか嫌いというところまでは中々落とし込めない。
よっぽど「意味不明」な状態に耐性のある人でなければ
だんだんとどうでもよくなってきて、
それらをアートとか作品として
鑑賞することをしなくなってしまう。

現代アートを嗜(たしな)むには
少しコツが必要なようで、
それは、ミルフィーユのように重ねられた、
作品の意図だとか、作者自身の思想だとか、時代背景だとか
そういったいくつかの「層」の重なり具合を楽しむ、
ということらしい。

たとえば、
意味不明の元祖、マルセル・デュシャンは、
展覧会に、突然「便器」を展示した。
(この「便器」から現代アートが始まったと言われている。)

この作品(便器)には、
そもそも芸術とは巧くきれいに描かなければならないものなのか?
そもそも自分で作らなきゃいけないのか?
どこにでもあるけど、それでもいいんじゃないか?
だいたい芸術なんてエログロなんだから便器くらいでいいんじゃねえか?
また、作品(便器)発表当時の、
第一次大戦中という社会情勢に対する”否定”の態度など、
デュシャンの様々な思惑が重なりあっている。
それは見事なミルフィーユ(便器)なのである。

デュシャンが切り開き、
その概念の領域を拡張し続けてきた現代アートであるが、
だがしかし、
まだどうしても超えられていない致命的な壁があるように思う。
それは、アートというものに常につきまとう
「なんか鼻につく感じ」。


「あたしって現代アートとかけっこう好きでー」

(って言ってる自分がけっこう好きでー)

「この作品は、カクカクシカジカで、
現代のアートシーンの中での位置づけとしてはモグモグパクパクで、
おれとしては結構、評価できると思うんだ」

(って言っているおれのことを、おれは結構評価できると思うんだ)


こういったスノビズムのようなものは、
きっと芸術というものが生まれた時から寄り添ってきたもので、
ある意味では欠かすことのできない一つの要素だとは思うが、
しかし、既成の概念を否定し、破壊し、拡張を続けてきたアートが
次に超えるべき壁とは、この
「なんか鼻につく感じ」
なのではないか。
アートが「アートである」という衣服を脱ぎすてた時、
そこに見えてくるものとは一体、何なのだろう?


その答えは、もしかしたらこれなのではないか。


『オコノミバー&イタリアーノ ”ドロップキック”』。


外観がメキシカンなこの店の前を通りがかったとき、
ふと、
そんなことを考えた。







161343.jpg







2011年08月03日 | 未分類
 | HOME | 

プロフィール

カレンダー

リンク

メールフォーム

天気予報

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。